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歌しか残らない歌について[その一] [ひとりごと]

最近見たライブや聴いてる音楽が自分の中で輪のように繋がっていって、そのことについて記しておこうと思いながらうまくまとまらず、どうしたものかと思っていたんだけど。
とりあえずちょっとした覚書ということで記しておこう。まとまりのない文章なのであしからず。

Flowerは今回のシングルに限らず今一番素直に聴いていられる日本のポップスだということは昨日も記した。アップル・ミュージックで日本のポップスも色々聴けるのでまぁ日々あれこれ聴いたりするんだけど、ソロ・シンガーの歌はほとんど聴いてられない。耳が引き寄せられず、もしくは聴いていられず、途中でやめてしまう。

なぜだろうと思ってたんだけど、朧げながら分かっていきた。
歌に歌手の自意識が現れているものは聴いていられないんだな。歌手が何か表現しようとしていたり、メッセージを込めるとか。シンガーソングライター的な歌は特に聴いてられない。結局そういう歌はその「歌い手の歌」でしかなくて、聴いている人の歌になってないから。

Flowerは今歌っているのは鷲尾玲奈ひとりだけど、不思議と以前の2-3人で歌っていた頃と歌の佇まいが変わらない。今もあくまでグループの歌になっているんだよね。歌い手の自意識が全く感じられない。
要するに鷲尾玲奈は自分が歌う歌を「私たちFlowerの歌」と捉えてるんだろう。それは聴いた人、私やあなたの歌でもあるということだろう。
不特定多数の中の私が歌う不特定多数の人のための歌。
そんな感じだろうか。

そんな歌は聴き終わったあとに歌しか残らない。だれが歌っているとか、そんな事関係なく、表現としてどうとかそんなことも関係なく。歌だけしか残らない。

AKBをはじめグループで歌われる歌というのは、不思議と何も考えず楽しく聴いていられるんだよね。それは結局個人の自己表現に陥っていないからってことなんだろうと解釈してるんだけど。
よく「自分を表現する」とかいう歌手がいるけど、歌が自己表現の道具になっている歌なんか聴きたくない。ソロの歌手はその落とし穴に陥りやすいんだろうな。

もうひとつ最近夢中になっているのがパオ・パオワリー。
彼女の二枚のルークトゥン名曲集も聴いていると、歌しか残らない。
もちろんFlowerの「優しさで溢れるように」もカバーだし、パオちゃんにしても有名曲を自分なりに歌おうとか、そういう技巧的な部分も含めてあるにはあるだろうけど、それを聴き手に全く感じさせないのは、やはり才能というものだろうか。

僕が今求めてるのは聴き終わったあとに、歌い手よりも歌しかのこらない歌なんだろう。
そういう歌こそほんとうにいい歌なんだと思うんだけど。

この文章はディランの新作「Fallen Angels」を聴きながら綴っているんだけど、このアルバムやライブのことも上の文章に絡めて記しておきたいんだけど、既に長くなってきたので今日はここまで。また近いうちに。

Flowerの昨年のシングル「瞳の奥の銀河」に付いていた1stツアーDVDの映像から。
昨年最もよく聴いた歌。未だに毎日のように聴いてる。

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としま

僕も先月28日に全く同じことを書いたような気がします。
by としま (2016-06-05 20:08) 

Astral

としまさん

ほんとだ。同じようようなこと書いてますね。
「歌手は歌の容れ物」かぁ。今はその「容れ物」のほうが持て囃される時代なんですかね。
by Astral (2016-06-05 20:49) 

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