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ニューヨーク(2005年、冬)の思い出 [雑記]

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僕がはじめてニューヨークを訪れたのは2005年の2月の事。
以下の文章はMM2005年5月号のフィードバック欄に投稿して掲載された文章です。

今年の2月の終わりから3月はじめにかけて1週間ほどニューヨークに滞在しました。そのおり、70年代のニューヨーク、ロフト・ジャズ・シーンでデヴィッド・マレイらと活動し、90年代には来日したこともあるコルネット奏者、ローレンス・ブッチ・モリスが、“Black February”(www.conduction.us)と銘打ち、1ヵ月間、ニッティング・ファクトリーをはじめとしたニューヨークのクラブで毎日行ったライヴを見ることができました。なかなか現場の雰囲気まで伝わってくることのない、ニューヨークのアンダーグラウンド・ジャズ・シーンの一端をレポートします。

2月25日、金曜の夜、ニューヨークはブルックリンのウィリアムズバーグ。数日前に振った雪の残る舗道を歩いて駅から5~6分、ドアを押して入った店の名前はゼブロン・カフェ。まだ人もまばらな店内は、カウンターとゆったりとしたテーブル席の片隅に小さなステージ。そこはライブハウスというより名前のとおりカフェと言った方がいい。ギネスビールとサンドイッチをたのみ、小さなステージの目の前の席に陣取った。 しばらくすると白いヒゲをはやした男が入ってきて、店員と談笑しながら食事を取りはじめた。その夜の主役、ローレンス・ブッチ・モリス。 夜も更け、いよいよ店内も人で混雑しはじめる。客に混じって楽器を持った人もちらほら。食事を終えた彼も楽器ケースを持った若い女性と楽譜を見ながら軽く打ち合わせなどしたり。ドラマーはひとり、セッティングをはじめている。

夜11時、小さなステージにはドラムとエレクトリック・ピアノ、パーカッションが左後方に、そこから溢れたホーン・プレイヤー達は6人横一列に並び、その前にコンダクターとしてブッチが立つ。 ゆったりと演奏は始まった。 彼の合図で三つのトランペットから音が流れだす。次の合図でアルト、ソプラノ・サックス、トロンボーンが違うフレーズを奏ではじめる。ベースの代わりはエレクトリック・ピアノ。次の合図ではアルトがソロを、トロンボーンがフレーズを変えてそれにからみつく。パーカッションはドレッド・ヘアーを振り乱している。また次の合図でドラムがリズムをかえる。ディキシーランド・ジャズ、ビバップ、セカンド・ライン、ブルース、ファンク。米国ブラック・ミュージックの歴史が凝縮されたような音楽がそこでは奏でられていた。 観光客向けのジャズ・クラブでは決して聴くことのできない、しかしこむずかしいフリー・ジャズなどではなく今を生きる音楽として、また、客席に笑顔を届ける音楽としてニューヨークの週末の夜に鳴っていた。プレイヤーの中には白人、黒人、アジア系、男も女も。もちろん客席も同じ。まさにニューヨーク! 休憩の間、男が“For Musician!”と書いたかごをもって客席をまわる。そう、その夜のショウは無料なのだった。もちろん、かごのなかにみなで小さな額だがお金をもうりこむ。

第2部にはチューバも加わり、時にニューオーリンズのブラス・バンドを思わせる演奏も展開した。おそらくは地元に住む、無名のプレイヤー中心のバンドの中、ブッチはさながら若いミュージシャンに音楽を教える教師のよう。休憩を挟んでライヴが終わったのは深夜の2時。週末の夜、大きな拍手と喚声。 メディアには大きく取り上げられることはないが、ニューヨーク・アンダーグラウンド・ジャズ・シーンの包容力と躍動感を存分に感じられた夜だった。

ちょうどニューヨークに着いたその夜のことで、帰るのにいきなり深夜の地下鉄に乗る羽目になってかなりびびった。ホテルに帰りついたのは夜中の3時。そもそも店の場所がハドソン・リバーの川沿いの倉庫街みたいなところで、夜9時頃に店に行く段階で駅から店までぽつんぽつんと街灯があるだけの道を歩きながら、「はじめてのニューヨークで、なんで俺はこんなところを一人で歩いてるんだろう?」と自分のやってる事にめまいがした。帰りは駅まで歩きながら「その車の影から誰か出てきて、ズドン!俺の人生終わるかもな」って。
でも無事ホテルまで帰りついたので、その後は夜遅くても平気で地下鉄乗ってましたけど。

その夜のライブでは僕の座ってた席の近くでカメラをセットして撮影している人がいてちょっと話をした。ドキュメンタリーを制作しているとのことで、メール・アドレスを交換して帰国してからも何回かやり取りした。その時はフィルムの編集中だということだった。
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=lPZqo7KGExI&NR=1
たぶんこの映像をアップしてる人がそうだと思う。ちょっとかわった名前だったからよく覚えてる。
これ全部見たいな。僕が見たライブも収められてるはずだから。

あの晩の興奮は今も僕の中に鮮烈なものとしてある。
これからさきもずっと。

Lawrence D. "Butch" Morris, 1947-2013. R.I.P.
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コメント 4

NO NAME

>MM2005年5月号
昨夜、本棚の奥から引っ張り出してAstral さんの熱いレポを紙面で読ませていただきました。
通巻500号記念号だったんですねぇ、
とうよう氏と原田氏の対談も興味深かったです(すっかり内容は忘れていました・笑)
アルバム・ピックアップ冒頭のロバート・プラント「マイティ・リアレンジャー」を当時買って、これ以降プラントとジャスティン・アダムスに興味を持つようになりました。

Morris氏のご冥福を願うと共に、彼の名前を記憶しておこうと思います。
by NO NAME (2013-02-05 09:56) 

Astral

NO NAMEさん

コメントありがとうございます。

僕もとうようさんと原田さんの対談読み返してしまいました。
あの頃はまだワールド・ミュージックにそれほど足を踏み入れていなかった頃なので、はじめて読む感じで改めて考えることが多かったです。
ロバート・プラントもまったく興味の外でしたね。「レイジング・サンド」からですね、僕の視界に入ってきたのは。

ブッチ・モリスはCDはもう一枚も手元にありません。ジャズというよりは現代音楽的な作品が多いんですよね。それほど数聞いたわけではないんですが。あの時のライブみたいな音源があればいいんですけど。65歳、ちょっと早すぎたなぁ。
by Astral (2013-02-05 21:47) 

酔人婆爺

>NO NAMEさん
名前欄に記入するのを忘れていました。
失礼いたしました。
by 酔人婆爺 (2013-02-06 12:51) 

Astral

酔人婆爺さん

文章からお知り合いかな?と思ってました。
ありがち?ですね。
by Astral (2013-02-06 18:24) 

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