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演歌は日本のソウル・ミュージックか? [演歌]



先日の「フィッシング・ブルース」の折にオーダーしようとして結局オーダーできなかったCDはケンドリック・ラマーの新作でした。モノクロの写真をあしらったジャケの感じからしてディアンジェロと通じるものを感じ、Youtubeでちょっと聴いただけでこれはイケル!と思ったんですけど。実際ラジオでかかってるのを聴いてもカッコイイ。おそらくあちこちで絶賛され、今年の年間ベストにあがることも間違いない。

でも、オーダーできなかった間に演歌なんか聴き始めちゃったもんだから、演歌みたいなあまりにドメスティックでベタな音楽を聴いてると、ケンドリック・ラマーの音楽が随分と自分と遠い音楽に感じられてきてしまった。
それにあのなんとも正しい感じ。政治的なメッセージか込められたリリック、様々なブラック・ミュージックに敬意を評した高い音楽性。評論家達がこぞって大絶賛しそうなあの否定しようのない「正しい」感じ。
それがどうにも重く感じられるようになってしまったというか、遠く感じられるようになったというか。ディアンジェロの新作でさえそんなふうに感じられるようになってしまったんですよねぇ。

そんなことは置いといて。

演歌は日本のソウル・ミュージックだとか言ったりする人いますね。
僕はそういうなんとかのなんとかみたいな言い方あまり好きじゃなんですけど、砂漠のブルースとかね。
わかりやすく伝えようというのはわかるんだけど、どこかその音楽を矮小化してしまうような気がして。自分から積極的に使うことはない。

とは言え、八代亜紀が「舟歌」を歌うのを見てたら、「Misty Blue」を歌うドロシー・ムーアの姿が重なって見えてきたりして。時代的にも同じだし。
ロング・ドレスの衣装のせいもありますけど。
フィーリングとしてはまぁ同じですよね。

今はこういうただの「歌」を聴いていたいんです。


そういえばこの曲はもともとカントリー・ヒッツだったっけなぁ。
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イワタニ

はじめまして。面白い人だなぁ、と思いコメントしたくなりました。
「今はこういうただの歌を聴いていたい」とは、ちょっと気になるセリフですね。
音楽をいろいろ聴いてくると、そんな気持ちが出てくる事がありますよね。聴き手側の姿勢が、音楽以外の何かに反発するんですよ。何でしょうね?私が思うには、どこの国もミュージシャンばかりになり、歌手が隅っこに追いやられた事が、音楽を聴く側に、音楽をわかったような知ったかぶりをする傾向が出てきた原因だと思います。そんなところに嫌気がしてきたかもしれませんね。
演歌!いいじゃないですかー。私も八代亜紀は好きですよ。
ただの歌こそ、真の大衆音楽だと思います。
by イワタニ (2015-04-21 17:59) 

Astral

イワタニさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

>聴き手側の姿勢が、音楽以外の何かに反発するんですよ。何でしょうね?

そうなんです。何なんでしょう。ただのはやり歌よりも知性や芸術性に溢れた音楽ばかりがもてはやされる風潮に反発するのかもしれません。

>どこの国もミュージシャンばかりになり、歌手が隅っこに追いやられた事が、音楽を聴く側に、音楽をわかったような知ったかぶりをする傾向が出てきた原因だと思います。

ちょっと耳の痛い言葉です。歌のある音楽さえグルーヴだなんだといって、自分は歌にちゃんと向き合っていなかったんじゃないだろかと最近思っていたので。演歌を聴いていると、いろいろ考えてしまうことがあります。それは近いうちに記事にします。
by Astral (2015-04-21 20:39) 

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